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2016 02 June

アートやデザインの分野から気になる人物を紹介(第2回:スティーブ・ジョブズ)

Sierra_Graphic / Pixabay

気になる人物第2回は、あまりにも有名なスティーブ・ジョブズを紹介します。スティーブ・ジョブズは全世界においても最も有名な人物の一人と言っても過言ではありません。映画や音楽など多くの人に影響を与える人物はいるが、私たちの生活においてここまで影響を与えた人物は他にいないでしょう。仮にスティーブ・ジョブズという名前を知らなかったとしてもiPhoneを作った人と言えば納得する方は多いのではないでしょうか。気になる人物を紹介するにあたり、真っ先に思い浮かんだのがこのスティーブ・ジョブズでした。なぜなら今こうしてiMacでブログを投稿しているのもスティーブ・ジョブズのおかげであり、打ち合わせでのiPhoneでのやりとりや外出先でのMacBook Airでの作業すべてがスティーブ・ジョブズが作り出した製品です。スティーブ・ジョブズが世界を変えたとは大げさかも知れませんが、私たちの生活を変えたのは事実です。仮にiPhoneではなくAndroidを使っている人もiPhoneがあったからAndroidがある訳ですし、パソコンでWindowsを使っている人もMacintoshがなければ今とは状況が変わっていたかも知れません。ではスティーブ・ジョブズは実際に何を行ったのでしょうか?詳しく見ていきたいと思います。

スティーブ・ジョブズという人物を知る

まずはスティーブ・ジョブズが誕生してから、世の中に衝撃を与えていくその過程をご紹介します。

生まれてすぐ養子に出される

ジョブズは両親が大学生だったこともあり生まれてすぐに養子に出されます。そして養子として受け入れたのが育ての親である父:ポール・ジョブズと母:クララ・ジョブズです。ジョブズはふたりに対し「ふたりは、1000パーセント、僕の両親だ」と断言していることからもふたりに対する想いは確かなものだったのでしょう。

幼少期のジョブズ

ジョブズは父親がガレージで中古車をレストアして販売する作業を身近に見て成長することとなります。この経験は後のジョブズの物作りに対して、大きな影響を与えることとなります。ジョブズは幼少期からその頭の良さが現れ始めます。小学4年生時にすでに高校2年生レベルの知能検査の成績を出し、飛び級して中学に入ることとなります。しかし、ジョブズは年上の子達と合わずいじめられることもあり転校を余儀なくされます。

高校入学、ウォズニアックとの出会い

高校入学後、のちにシリコンバレーの伝説と呼ばれるようになるジョン・マッカラムのエレクトロニクスの授業でジョブズはウォズニアックと出会うことになります。ふたりはすぐに意気投合し、その後の行動を共にするようになります。ふたりの初めての仕事は長距離電話を無料でかけられるという「ブルーボックス」の販売です。これは当然、犯罪であり身の危険を感じて販売を中止することになります。しかし、この経験がのちのアップル誕生のきっかけとなるのです。

大学のドロップアウト、そして旅

ジョブズは高校卒業後、リード大学に入学しますがすぐにドロップアウトしてしまいます。ジョブズはのちに退学の理由を両親が一生かけて貯めたお金を無駄な授業に払いたくなかったと言っています。ジョブズは大学中退後も興味のある授業だけを聴講することになります。その中でもカリグラフィーに関しては、マックに美しいフォントを搭載するきっかけとなるのです。しばらくしてジョブズはゲームメーカーのアタリ社で働くこととなります。ジョブズは禅に深く傾倒していたこともあり、そこで貯めたお金でインドへ向かいます。このインドでの経験がのちのちまで影響を与えたとの語っています。インドから帰国してジョブズは再びアタリ社で働き始めます。のちにちょっとした事件となるウォズニアックと共同でのゲーム作成の仕事をすることになります。この仕事の報酬としてジュブズはウォズニアックに報酬の半分を渡したとされていましたが、実はこの仕事にはボーナスがあり、そのボーナス分はウォズニアックに渡していなかったことがのちに発覚します。それを知ったウォズニアックですが、それでも怒らなかったというのですから懐の深さが感じられます。

アップルの誕生

ウォズニアックはアップルⅠの原型になるコンピューターを作成することになります。それを見て売れることを確信したジョブズは、このコンピューターを販売しようとウォズニアックに提案して、車を売ったり、貯金を出し合うことで会社を立ち上げます。これがアップルの始まりです。コンピューターの例会でこのコンピューターを発表したところあまり受けはよくなかったが、唯一バイトショップというコンピューターショップのポール・テレルという人物が興味を示します。ジョブズは商談を行い50台の販売に成功します。のちにこのコンピューターはアップルⅠと名付けられます。アップルⅠの販売で得た資金により、次なるコンピューターの開発に進むこととなります。

アップルⅡの成功

アップルⅠは電源やキーボードもない製品だったのに対し、次は電源からモニターまですべてが揃った製品にしようと開発を進めます。投資家のマイク・マークラとの出会いによってアップルは好転します。マークラは25万ドルを投資し、1977年1月3日にアップルコンピューターを設立し、アップルⅡの開発は順調に進んでいきます。そして1977年4月のサンフランシスコでの第1回ウエストコーストコンピューターフェアでアップルⅡは発表され、大好評を得ます。このアップルⅡはその後、600万台を販売し、コンピューター産業の立役者となるのです。

マッキントッシュの発売、そして追放

アップルⅡの成功はウォズニアックの功績が大きく取り上げられたこともあり、ジョブズは自分のマシンを作りたいと考えます。リサという自身の娘の名前を付けたマシンの開発を進めるが、株主による社内の再編により開発から降ろされることとなってしまいます。その後、居場所を失ったジョブズはマッキントッシュチームプロジェクトの乗っ取りを試みます。それは成功し1984年1月24日に完成されたマッキントッシュが発表されます。発売当初は革命的な広告の効果などもあり売り上げを伸ばしたが、ある時点より急激に落ち込みます。実際に使用したことであらゆる不具合が見つかったのが原因です。1984年の末には月1万台を割り込む程になっていました。そのこともあり次々と社員が辞めていく中で、原因はジョブズにあるとされ創業者であるにも関わらず、アップルをクビになります。

ネクストコンピューターとピクサー

アップルを離れたジョブズはその後、ネクストを創業します。1988年10月にはネクストコンピューターを発売することになりますが、販売台数が月刊400台程度という失敗に終わります。時を同じくしてジョブズは、ルーカスフィルム、のちのピクサーの経営権を握ることになります。そこで出会ったデジタルアニメーション部門を統括するジョン・ラセターにジョブズは惚れ込みます。元々、経営難だったピクサーの資金が底を尽きそうな時、ジョブズとラセターの信頼の中生まれたおもちゃの短編映画「ティン・トイ」を発表し、これが1988年のアカデミー賞短編アニメーション賞を獲得する大成功を収めます。ピクサーにとってはこれが転機となります。新作アニメーションのヒット作に恵まれていなかったディズニーがピクサーに新作のおもちゃ映画の製作を依頼します。紆余曲折がある中で完成したのが誰もが知る「トイ・ストーリー」です。トイ・ストーリーは世界で3億6200万ドルの興行収入をあげ、この年最大のヒット作となりました。こうしてジョブズは映画産業でも大成功を収めることになります。この「トイ・ストーリー」の成功は始まりに過ぎず、ピクサーはその後もヒット作を連発します。

再びアップルへ

ジョブズのピクサーの成功とは裏腹にアップルの市場シェアは減り続けます。アップルは先行きが見えなくなり、再建を目指す中で仕方なくジョブズの元へ歩み寄ります。そして1996年12月20日にアップルがネクストを買収する形で、ジョブズは再びアップルへと戻ることになるのです。ここからジョブズのアップルでの伝説が再び幕を開けることになるのです。

iMacからの快進撃

ジョブズはアップルに復帰後、内部統制を徹底的に再編します。その後はマイクロソフトの協約など驚愕の発表もありました。そして復帰後、第一弾となる家庭用デスクトップパソコンのiMacを1998年5月に発表します。この半透明のコンピューターは大成功を収め、ジョブズの復帰を確かなものとしましす。

iTunesとiPodによる音楽界の革命

iMacで成功を収めたジョブズはその後、音楽界に進出することになります。21世紀に突入すると共に音楽はCD-Rに焼くのが主流となります。この流れに乗ってMac専用に開発されたソフトがiTunesです。そしてジョブズが次に目をつけたのがポータブル音楽プレイヤーです。そして2001年10月23日、音楽界に革命を与えることになるiPodが発表されます。発表当初は399ドルという価格が高すぎるという声もありましたが、その予想は外れ大ヒットとなります。iPodを見たビル・ゲイツが未知との遭遇のように感じたというのだからiPodがどれほど衝撃的な製品だったのがわかります。iPodの誕生はジョブズがビジネスとして音楽に目をつけたのはもとより、音楽を心底愛していたということも大きいでしょう。音楽を愛するジョブズは不正にダウンロードされることを嫌いiTunesストアを発表します。こちらも6ヶ月で100万曲を予想していたところ、6日で100万曲という信じられない結果となります。

Appleの存在を世界に知らしめたiPhoneの誕生

ジョブズはiPodの成功とは裏腹に一つ大きな心配がありました。それはカメラ付き携帯電話にデジタルカメラ市場が食いつぶされたように、次にポータブル音楽プレイヤーが食いつぶされると考えたのです。やられる前に先にやろうと考えたジョブズは当初、モトローラと共同開発を進めますが求める製品開発ができないことを悟り自分たちだけで開発することに決めます。元々、マルチタッチをタブレット用に開発を進めていたアップルですがこれを携帯電話に採用することに決めます。そして、音楽業界、携帯電話、インターネットの3つの革命を一度に起こすiPhoneが発表されるのです。このiPhoneは2010年末で9000万台、利益で世界の携帯電話市場の半分以上を占めるApple最大のヒット商品となります。

iPadによる追い討ち

ジョブズはマルチタッチをiPhoneに搭載しましたが、それとは別にスタイラスペンを使用しないタブレットの開発も進めていました。そして2010年1月27日に発表されたiPadですが、発表当初は否定的な意見が多くありました。しかし、実際に発売が開始されると否定的な意見は180度変わると共に、iPhoneの倍以上にもなる1ヶ月に100万台以上という売り上げを記録するのです。9ヶ月後には1500万台に到達し、新発売された消費者製品としては史上最高の成功となります。

ジョブズの最期

ジョブズは病気との闘いの中数多くの製品を生み出してきましたが、2011年10月5日にすい臓がんのためこの世を去ります。世界中の多くの人がジョブズの死を悼みました。

スティーブ・ジョブズが残した数々の功績

ジョブズは生前、世の中を驚かす製品をいくつも生み出しました。その製品の数々を紹介いたします。

APPLE Ⅰ

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出典/The Apple II History by Steven Weyhrich

1976年ホームブリュー・コンピューター・クラブで発表

ジョブズがウォズニアックと共同でジョブズの自宅ガレージにて開発した最初のコンピューター。

APPLE Ⅱ

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出典 / Wikimedia Commons

1976年4月サンフランシスコで開催された第1回ウエストコーストコンピューターフェアで発表

完全パッケージの最初のパーソナルコンピューター。アップルを世に広めるきっかけとなった製品です。

Macintosh

1984年1月24日発売

CMにリドリー・スコットを監督に迎えるなど、宣伝の効果もあり発売当初は売り上げを伸ばします。その後、売り上げは低迷しジョブズがアップルを追い出される原因ともなります。

iMac

iMac G3:1998年5月6日発表

アップル復帰後、最初のコンピューター。この成功が後の快進撃のきっかけとなります。

iMac G4:2002年1月発表

別名:ヒマワリ。アップルの製品はどれもすばらしいものばかりですが、デザインとして一番好きなのがこちらのG4です。ちなみにこれが初めて購入したパソコンとなりました。

iMac G5: 2004年8月31日発表

現行もこのモデルを採用しています。

iPod

 2001年10月23日発表

コンピューターだけでなく音楽業界にも大きな影響を与えることになる、画期的な商品となります。

iPhone

2007年1月10日発表

今までAppleを知らなかった人にまでその名を知らしめることになる、Appleを代表する製品。ジョブズの成功を決定的なものにします。

iPad

2010年1月27日

iPhoneの成功でもとどまることを知らず、さらに追い討ちをかける製品。iPadによる電子書籍への影響は非常に大きいです。

スティーブ・ジョブズが残した数々の名言

ジョブズはプレゼンテーション力が非常に高いことでも有名です。それに伴う言語力の高さも計り知れないものがあります。ジョブズが多くの人に影響を与えた10の発言をここでは紹介します。

“人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ。”

ジョブズは一切市場調査をしないことでも有名です。なぜなら市場にない商品を作るのがアップルの仕事だからです。

“好きだと心の底から思い込め。”

「好きこそものの上手なれ」とはまさしくで、コンピューターを愛していたからAppleが生まれ、音楽を愛していたからiPodが生まれたのでしょう。

“美女にライバルがバラを10本贈ったら、君は15本贈るかい?そう思った時点で君の負けだ。”

ジョブズが他より少し上回ることに意味がなく、圧倒的に突き放すイノベーションを重視していたことがわかります。

“安全にやろうと思うのは一番危険な落とし穴なんだ。”

ジョブズは一つの成功にとどまらなかったこそ、iPodのあとにiPhoneが生まれ、iPhoneのあとにiPadが生まれたのでしょう。

“すぐれた芸術家はまねる。偉大な芸術家は盗む。”

これは元々ピカソの言葉です。ジョブズに限らず多くの偉人が盗むことに肯定的です。もちろんただ盗ものではなく、組み合わせたり改変しイノベーションを図るのです。

“何かを捨てないと前に進めない。”

アップルは商品数が少ないですが、それだけ一つの製品に徹底的に突き詰めているのです。

“人生の残りの日々を、砂糖水を売って過ごすんですか。世界を変えるチャンスに賭けないんですか。”

当時、ペプシコーラ社長のジョン・スカリーをヘッドハンティングした際の有名な言葉です。

“10秒早く起動できるようにすれば、何十人もの命を救えるんだ。”

一人にとってはたったの10秒ですが、マックを利用する人全員の10秒を足すと何十人の寿命と同じ時間に相当するのです。

“お金の問題ではない。私がここにいるのはそんなことのためではない。”

アップルに復帰したジョブズは年俸わずか1ドルだったといいます。お金のためであれば数々のAppleの製品は生まれていなかったでしょう。

“今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいか?”

スタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチの一部です。やりたいことをやっている人は非常に少ないです。金銭的な恐怖やいろいろなことがそうさせるのでしょうが、いずれ死ぬことを考えるとやりたくないことをやる時間はないとジョブズは言います。

まとめ

ジョブズはアップルで世の中に影響を与える製品を数多く発表してきました。僕自身、iMacとMacBook Air,iPhoneを使って仕事をし、仕事以外でもインターネットやテレビ、音楽すべてにおいてApple製品を使用しています。もう生活の中心がApple製品と言えるほどです。Appleがなければ世界中の生活が今とは違う結果になっていたと思います。ジョブズは世界の人々の生活を変えたのです。ジョブズが亡くなってしまってから、正直Appleはこれまでの影響力を失ってきていると感じています。ジョブズ亡き今、今後のアップルが不安ではありますが、ジョブズがいた時のようにまた画期的な製品が発表されることを期待したいです。

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